きままにブログ

臨床心理士・公認心理師。臨床心理学の話とか持病(再生不良性貧血)の闘病日記とか趣味の話とか色々書いてます。Twitter(@YllXyo)と質問箱(https://peing.net/ja/yllxyo)もしています。

闘病生活日記② ~入院生活が始まって間もない時の話~

 

 前回のブログ(闘病生活日記① ~緊急入院した話~)の続きです。

 

先生からの病状説明と精密検査

 2019年5月9日の木曜日、僕は緊急入院した。運よく集団部屋が空いていなかったこともあり、僕は病棟7階の隅にある静かな個室部屋で入院することになった。部屋の内装は全体的に温かみのある飴色をしていて、北側の壁を囲む大きな窓からは大阪府内の街並みが展望できた。夜になると無数の灯りがよりいっそう風景を煌びやかに輝かせて見せた。こういった環境だったこともあり、最初の数日間は入院したことにも悲嘆することもなく過ごせた。むしろ現実感が飛んでしまっていたのと、急な環境の変化で少し躁状態になっていたのとで、テンションが上がっているくらいだった。入院部屋に移動して間もなく母がやってきた。同時に、主治医の先生から病状について説明された。要約すると以下のようであった。

 まず、僕は血小板と赤血球と白血球の数が非常に少ない。血小板には血を固めてカサブタを作る役割がある。なので、もしそれが少なくなれば出血しやすくなったり、怪我が治りにくくなる。また、赤血球には酸素を運ぶ役割があるので、もしもそれが少なくなったら息切れや貧血が起こりやすくなる。加えて、白血球には体内に入った細菌をやっつける役割があるので、もしも少なくなったら感染症にかかるリスクが高くなる(とりわけ血小板の数が特に少なかった僕は、主治医より「もし脳内で出血したら手の施しようがない」と言われていた。その為、まずは血小板の輸血の措置をしていた)。また、診断については「現段階ではわからない」とのこと。具体的には、“骨髄異形成症候群 (機能しない血液が作られてしまう) ”という病気か、“再生不良性貧血(血液自体が作られない)”という病気であるそうだが、どちらの病気であるかは精密検査を行わないとわからないらしかった(一応、下にウィキペディアでの説明を載せておきます...医学書を読むのが面倒なのでウィキペディアで許してください...)

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 加えて、「今後最短3か月の入院が必要」とも言っていた。もしも完治を目指すなら、造血幹細胞移植(骨髄移植)の選択をすることになるそう。特に、移植は40歳未満だと成功率が上がるため、主治医の先生は「しんさんはまだ若いから完治を目指したい」と言っていた。しかし、造血幹細胞移植の選択をする場合、今の病院ではできないため、さらに専門的な病院に転院することになるとも言っていた。また、この移植を実施するにはHLA(白血球のタイプ)が一致したドナーが必要になるし、それも、親はまず一致することがなく、兄弟でも4分の1程度の確率でしか一致しないようだった。しかも、移植後は1割の人が実施後に拒否反応を起こして亡くなるというリスクがあるらしい。他にも、免疫抑制療法という投薬治療の方法もあるが、この時はその選択はなかった。

 そういった医師の話であったが、母も僕と同じく「なんでやろ?実感が沸かへん」と言って淡々としていた。僕はお金のことだけが少し心配だったものの、相変わらず実感が沸かず平気だった。けれど、入院から3日程度経過した時くらいから徐々に実感が沸いてきて、少し怖くなってきた。正確には、死ぬこと自体は全く怖くなかったけど、移植や精密検査の痛みに対する恐怖だったり、もし僕が死んだ後に家族や友人が悲しんだりすることや、移植に失敗して重篤な後遺症(例えば植物人間になるとか?)が残るかもしれないことや、ドナーを提供してくれた兄弟に後遺症が残るといった想像をしてしまい怖くなった。その時の僕の主治医は、病状や治療などを説明するときには何かにつけて逐一恐怖を煽るような言い方をする人だったので尚更だ。ある日、主治医から「明日精密検査をします」「腰からボールペンの芯くらいの針を刺して骨髄を“削り取る”検査をします」と言われた僕は、“削り取る”という表現が怖くて、一睡も寝付けなかったこともあった。しかし、結局、実際の精密検査はそこまで痛くなく一瞬で終わったのだった。

 

個室部屋での入院生活

 入院したばかりの頃は、主治医の先生や看護師さんが頻繁に体温や血圧を測りにきたり、輸血の様子を見に来たりしてくれたのでそこまで退屈もしなかった(時に看護師さんの子育て相談や他の患者さんへの相談にのったりして過ごしていた)。けれど、僕は、あまり怖がっているところや落ち込んでいるところを見せたくなかったので、医師や看護師の前で平気そうに振舞ううちに、医師や看護師さんは「元気そう。大丈夫そうだね」と言って、あまり部屋に来なくなった。そういう経緯で、特に話す人もいなくなり、僕は毎日横になりながら携帯電話を見るか、パソコンでユーチューブを見続ける生活になっていった。暇になってきたこともあり、僕は入院開始から4日後か5日後くらいして、友人に病気のことを言うことにした。でも、直接伝えたら気を使わせてしまうかもしれないと思ったので、LINEのタイムラインで「暇だからきて~」的に軽そうな内容で報告してみた。その結果、数名の友人から心配の電話やLINEをいただいた。その友人知人の反応はまちまちで、この事態を軽く受け止める方もいたら真剣に受け止めてくれる方もいた。お見舞いも、“大した事ないだろう”というノリで病室にて好き放題して帰った友人もいれば、沢山のお菓子などをもって来てくれた友人もいた。親戚も見舞いに来てくれた。なんにせよ沢山の人からの励ましの言葉に元気をもらった。

 数日後、僕は暇つぶしとして友人を誘ってオンラインでのクトゥルフ神話TRPGをしようと計画を立て始めた。オンラインであればパソコンがあれば遊べるので、暇つぶしになると思ったからだ。しかし、突如集団部屋に空きができたという知らせが入った。そして結局、その日のうちに個室だったこの部屋から集団部屋へ移動することになった。集団部屋であるので、もちろんクトゥルフ神話TRPG等はできない。この遊びは入院する前にも計画したけど中止になった経緯があったので今回でポシャったのは2回目だった。そそくさと荷物をまとめて新たな部屋に移動した。実際に部屋に行くと、早速何とも言えない鼻につく臭いがした。その部屋は、個室部屋とは全く異なり薄暗くて所々汚れていた。そこは4人部屋であり、カーテンで仕切られた自分の空間は畳2畳分くらいしかなかった。僕以外全員は高齢の方だった。ベッドで横になって寝ようとしてもカーテンの仕切りの奥から頻繁にゲップやおならの音、痰を吐く音などが聞こえていたし、患者さん、お見舞いに来た方、看護師さんの声が飛び交っていて騒がしく、全く眠れなかった。ただでさえ潔癖症なのに、一度個室を体験した自分にとってはより気が狂いそうな環境だった。入院から9日目である5月17日、僕はあたり一面に消臭スプレーをまき散らしてはほぼ一日中耳栓をしながら布団の中に潜り込む生活をするようになったのだった。入院生活はその入院環境によって大きく左右された。

 また、その日の昼頃に、主治医より、以前行こなった“腰からボールペンくらいの針を刺して骨髄の組織を削り取る検査”の結果を聞かせてもらった。どうやら、「再生不良性貧血だろう」とのことだった(詳細は次回のブログで書きます)

 

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写真:個室部屋から見た景色

 

 ~つづく~